한국인으로 살아 가기
극우 일본인이 쓴 양칠성과 일본인 동료들에 대한 글 본문
https://blogs.yahoo.co.jp/bonbori098/35343564.html
朝鮮人は靖國に祀られている朝鮮人を「出してくれ」と言う。
しかしインドネシア英雄墓地にいる朝鮮人を「出してくれ」とは言わない。
昭和17年3月、350年間インドネシアを支配してきたオランダを打倒した日本軍は、昭和20年9月7日にインドネシア独立を約束して、スカルノ(初代大統領)に独立準備委員会を結成させた。
しかしこの約束は日本の終戦で果たせず、インドネシアは自分達の力で独立しようと8月17日に独立宣言した。
これをオランダは認めず、「独立」の動きを「暴動」と言って日本軍に武力鎮圧を命じた。
インドネシアは植民地に戻るわけにはいかなかった。
インドネシアは日本軍によって育てられたPETA出身の将兵達が中心となって10万人でインドネシア独立戦争を戦った。
この時、インドネシアにいた日本軍は日本に帰ることも出来たが、インドネシア独立のために一身を捧げることを選んだ二千人がいた。
彼らは経験乏しい独立軍を指導するため常に第一線に立ったために千人が命を落とした。
この中に朝鮮人軍属の梁七星(日本名 梁川七星)がいた。梁は幼いころ両親と死別し、叔母夫婦に引き取られて育てられた。
大変心の優しい子供で、小学校に入る時に近所の貧しい子供に学用品を分け与えたという。また親孝行でもあり、引き取ってくれた養父を早く亡くすと、家計を助けるため、日本軍の軍属の募集に応じてジャワに渡った。
ジャワでは捕虜の監視を務め、日本軍の給料を実家に届けていた。
終戦後、実家には「インドネシアにもう少し留まる」との手紙を書き、アジア解放のために上官であった青木政四郎曹長と長谷川勝雄軍曹と共にインドネシア独立軍に加わった。
彼らはバンドンなどでオランダ軍相手にゲリラ戦を展開。インドネシア人部隊とジャングルの中を転戦してオランダ軍を悩ませた。
リーダーの青木はオランダ軍が懸賞金をかけるほどの優れた戦士であった。特に「民家のものは決して奪うな。日本人でも女を襲ったり、物品を略奪したら撃ち殺す」と規律も厳格に維持して、現地人とも信頼関係を得ていた。
梁はこうした青木の姿勢と理想に共感して生死を共にする決心だった。
オランダ軍はインドネシア軍が日本軍の訓練で強くなっていたことを知らず、オランダ軍は簡単に鎮圧出来ると考えていた。
しかしインドネシア人は見違えるほど強かった。
戦いは4年間も続きインドネシア側は80万人の死者を出した。それでもオランダ軍は占領することが出来ず、インドネシアの独立に同情した国際世論の圧力で、昭和24年、インドネシアの独立を認めた。
しかし青木や長谷川や梁の3人はインドネシアの独立に立ち会うことなく、捕えられて、独立の4ヵ月前に銃殺された。
処刑前に3人は「君が代」を歌い、「天皇陛下万歳」を三唱して死に赴いた。
青木曹長は3人の共同辞世に一首留めた。
「国思う 大和をのこの散り際は 盛り短き桜花かな」
3人は共に戦った独立軍の墓地に埋葬してくれるようにオランダ軍に頼んだが、拒否されて民衆墓地に埋葬された。
インドネシア民衆は3人の遺体が運ばれる時、沿道に集まって「ムルデカ(独立)!」とオランダ軍をも恐れず叫んで見送った。
その後、3人の遺骨はインドネシアが「独立英雄」と公式に認め、昭和50年に彼らが戦ったガルングン山を仰ぐガルートの英雄墓地に埋葬した。
独立の英雄をいつまでも忘れないインドネシアは立派である。日本は見習わなければいけない。
この時、分骨された小さな棺は遺族に送られたが、梁七星の棺だけ取り残された。それを知った日本人が遺族を探し出したが、梁がインドネシア独立軍として戦っていたことを知らず、帰りをずっと待って全州駅に出迎えていた義母は、この9年前に他界していた。
この英雄墓地の梁七星の墓碑には「日本 梁川七星」と刻まれていた。
しかし韓国はこの碑文を「韓国名」と「韓国国籍」にするようインドネシア政府に抗議した。
結果、「韓国名」と「韓国国籍」になった。
それは本人が望むのだろうか?
「日本 梁川七星」のままがよかったのではないか。
여기에도 양칠성과 아오키 마츠시로, 하세카와 카쯔오가 처형당하기 직전 기미가요를 불렀다거나 천황폐하만세를 불렀다는 얘기는 없다.
그들이 가룻에서 천황폐하만세를 외치고 총살당했다는 말은 그랬으면 좋을 뻔 했다는 일본의 국뽕 어린 희망사항에 불과하다는 반증이다.
물론 위의 글에서 글쓴이는 양칠성이 한국인으로 밝혀지지 않고 일본인인 체로 남아 있었던 게 더 낫지 않았겠냐며 양칠성이 한국인으로 밝혀져 한 등급 밑의 인간이 되었다는 식의 논리를 전개하고 있다.
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